【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭
第87回「しあわせなゴリラ」
▼霧の中のニシローランドゴリラ
ゴリラは、まだ朝もやの残る早朝にバイ(注:湿地性草原;連載記事第9回を参照のこと)に来ることもあれば、日中の熱い最中にやってくることもある。午後の遅い時間に訪れ夕暮れ直前までバイで過ごすこともあった。朝もやの霧は思っている以上に深く、観察台からバイを眺めても、ゴリラの姿はボーっとしか見えないことがある。そう、マウンテンゴリラ研究者のダイアン・フォッシィ流にいえば、まさに「霧の中のゴリラ」だ。たいていの場合一つのグループは、数時間バイに滞在し、またそのあと森の中へ入っていく。
バイは森林よりも見通しがよくゴリラにとって重要な採食場であり、ゴリラが繰り返し利用する場所である。またゴリラが水草を食べるときに出すさまざまな音で、ゴリラの存在を教えてくれる。たとえば、ゴリラがバイの中をぴちゃぴちゃ歩く音、水草の根に付いた泥を水で洗い落とす音、ゴリラが水草などを採食しているときの音声など、結果的にバイやその周辺でのゴリラを発見する頻度は高くなるのである。
写真333:バイで採食するゴリラのグループ©永石文明
▼コミュニケーション場としての土掻き
林床の枯葉をのける。そのあと土の表層部分だけをのける。ガイドの先住民は口をそろえてゴリラの痕跡だという。たしかにその土の表面にはゴリラの足跡が多く発見される。またゴリラほどの大きさの指で表層の土が引っかかれたようなあとも見られる。ぼくはこれをゴリラの「土掻き行動」と名づけた。先住民のガイドはみなゴリラは枯葉の下の虫などを探して食べるのだと説明する。
グガという場所ではバイに隣接するマメ科の純林で「土掻き行動」の痕跡が非常に頻繁に見られた。面白いのは、土掻きはいくつかの特定の場所に限定されており、ゴリラはそこを繰り返し利用していた。なにか昆虫でも発見されるのかと思い、ぼくもゴリラのようにその場で土を掻いてみた。ゴリラが同じ場所を何度も利用しているのだから、昆虫の巣でもあるかもしれない、そう思ったのである。しかし昆虫などの発見頻度はきわめて低かった。黒くて大きめの単独生活のアリなどがほんとうに偶然発見される程度だった。しかもその種類のアリがゴリラのフンの中に断片として見つかったことはない。もし頻繁に採食しているのなら、フンの中にそのアリの頭部とか足など、キチン質の一部が見つかるはずである。
数10mの距離からだが、何度か土掻き行動を直接観察することができた。もっとも長時間観察できた例では、一頭のオスが33分間「土掻き」に従事し、何かを地面からつまみ上げて口にそれを入れたのは2回のみであった。やはり何か昆虫の類であろうか。その種類までは確認できなかったが、たったの2回とは、採食行動としてはいかにも効率の悪いもののように思われる。いったいゴリラは何をやっているのだろう。たとえ発見できる確率が低くても、その採食物は何ものにも代えがたいほどうまいものなのだろうか。
バンバンという音。その繰り返し。やぶの向こうではっきりとは見えない。しかしそれは取りも直さずやはり昆虫か何か動くものをたたき、その動きを鈍くさせ、食べるのであろうと想像される。あるいは何もないところで、地面をたたくものであろうか。少なくとも土掻きの一連の行動であるし、何か感情的に気が荒くなっているような状況でなかったのは確かである。
ゴリラは森からバイへ入っていくとき、いくつかの特定のルートをもっていることがわかってきた。バイから出て森へ入るときもその同じルートを使う。面白いことに、「土掻き行動」はそのバイの出入り口に当たる林床に集中していたのだ。実際、バイに入る前にあるいはそこから出たあと土掻き行動が観察された例もある。森から出てきたグループがバイに入る前に一度みな止まり、土掻き行動をする。バイで一心不乱に水草を食べて森へもどるときもう一度全頭で止まり、土掻きを行なう。ゴリラのそうした日常が思い浮かぶ。
あくまで推察の域を出ないが「土掻き行動」の見られる場所は、バイの直前で比較的見通しのよい場所である。ゴリラは森の中にいるとき各個体は多少ばらけて行動し、それぞれ採食することが多い。そこでは見通しがよくないので、お互いの存在はわかっていても直接は確認できなかったりする。そして何かの合図をもとに、ときには走って一列縦隊で、喜々とバイへ向かってやってくる。バイの手前で急に視界が開けてくる。バイに入る前に一度そこで立ち止まり、見通しのよいその場所でみなを確認する。効率は悪いかもしれないが、ひょっとしたらうまいものを発見できるかもしれない土掻き行動もする。そしてやおらみなでバイに入っていく。土掻き行動は、そうしたグループ内のコミュニケーションの場の中でついでに行なわれる行動で、栄養的には非効率であっても、一同に会したみなと共有できる遊び的な行動ともいえるのかもしれない。
▼嬉々と走るゴリラ
ゴリラはどのようにして森の中からバイへ向かっていくのか。いくつかの決められたルート上のバイの出入り口付近で待ち伏せすることによって、ゴリラの行動を観察することを試みた。森の中からゴリラがバイに近づいてくる。グループの中のゴリラは、みなほぼ一直線に並んでやってくる。一列縦隊だ!しかもみな走ってくる!そのとき、なにか、とても楽しそうに聞こえる声も伴っていることが多い。
その行進では必ずしもシルバーバックが先頭に立ち、自分のグループを引っ張ってくるという様子でもなく、むしろ先に、コドモたちあるいはメスが先に姿を見せ、シルバーバックが他の個体よりも遅れながら、ゆっくりと歩いてくるケースが少なくなかった。ただその全体の様子は、バイに来るのは本当に楽しいことなのだということをゴリラは全身で表現しているようにみえた。
▼ゴリラの橋
無論ゴリラもバイでは沈まないわけにはいかない。しかしなんとか目当ての水草に辿り着くまでに、さまざまな工夫をする。水草の根やバイの中の潅木の根などを四足で上手に踏みながら前進していく方法。バイの周辺に立つ樹木の大きな板根(注:熱帯林によくみられる根の形態;通常3~4方向に板状に根を伸ばし樹木を支える;とくに土壌の柔らかい湿地林ではこうした板根を持つ樹木の種が多い)を利用し、その周辺で採食する。またそうした樹木が偶然倒れてバイの中の自然の橋となっていれば、その上を歩きバイのより中央部へ向かう。さらに潅木などの枝をしっかり片腕で握り全体重を支えながら、片方の手を思い切りバイの中に伸ばして水草を採集する、などなど。
ゴリラも沈まない努力をしているのだ。一度だけゴリラがバイに「橋」を作ったのを見たことがある。当時ぼくと共同研究をしていたコンゴ人若手研究者が発見したのだ。彼はゴリラがバイに入る直前まで、ゴリラを追跡した。そしてゴリラはバイの中へ入っていった。バイへ入った地点を検証していたら、直径10cmくらいの一本の木が折られていて、バイの中に落ちていたのである。そしてゴリラがその落ちた木の上を歩いた痕跡すら見られたのである。
通常人間もスワンプの中を歩くとき、そうした木を渡す。それが沼地の中の水草の根などの支持を受けて容易に沈まないのである。そしてわれわれはバランスを保って、その上を歩く。このゴリラの事例は、まるでゴリラもわれわれとまったく同じ手法で深い沼地を歩こうとしたように思われる。ほんとうにそれを理解して行なった行動なのか、たまたま偶然が重なったのか。ゴリラとはいえ、深い沼地にはまりたくない気持ちを持っているのは少なくとも確かであろう。
▼ひと風呂、浴びてます
バイの中にいるゴリラたちを見ると、ほんとうに幸せそうに見える。バイは草原といえども沼地。ときには肩まではまりながらバイで草本類を食べていたゴリラも見たことがある。でもよほど目当ての水草がおいしいのか、目を細めて、ときには腰や肩くらいまで沼地にはまりながらも、食べている。その光景は、銭湯で気持ちよさそうに風呂を浴びているときの様相にそっくりだ(写真333)。
写真334:肩までバイの沼地に浸かったゴリラ©西原智昭
水草は根の部分を中心に食べる(写真334)。ゴリラは当然根から水草を引っこ抜く。根には泥が付いている。ゴリラはその泥を、身の回りにある水溜りで、できるだけ洗い落とす。そして口へ持っていく。どの個体も、いつでも、そうしたやり方で水草を食べるのだ。
写真335:水草を食べるシルバーバック©永石文明
▼友好的なゴリラ
ある大きなバイでの詳しい長期調査によると、ある一つのグループが同じバイに毎日来るというわけではなく、何日かに一度訪れるようなグループもいれば、グループによっては一ヶ月に数回ぐらいしか来ないものもある。
ときには、あるグループのゴリラがバイの中にいるとき、別のグループのゴリラがやってくる。お互いかなり離れているときは、とくに何事も起こらない。両方のグループがかなり近距離にいる場合でも、実はほとんど何事も起こらない。バイの中でグループ同士が接近した場合、たいていはシルバーバック同士が一瞥しあうだけで、身体的な接触を伴うようなけんかなどはまず起こらない。むしろ、隣同士のグループのコドモたちはお互い混ざり合って、遊び始めたりもする。
そうした光景は、実に平和でほほえましい。またバイには、ゴリラだけでなくゾウやバッファローなど他の動物もやってくる(写真335)。しかしゴリラは他の動物たちとも友好的な関係にあるようだ。ゾウはゴリラよりも体格が大きいせいか、ゾウとゴリラが近距離にいると、ゴリラの方がその場所を立ち退くことはある。しかし両者の間にはげしい攻撃的なやりとりは見られない。ゴリラやゾウ、アカスイギュウなどが一つのバイの中に同時に存在し、お互い静かに草を食み水浴びをしているという光景も、決して稀なことではないのだ。
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