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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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第64回 2018年回顧

2018年12月29日

 「クラシック音楽は超男性支配世界!」なにこれ?と誰もが呆れ、驚くようなタイトルで連載を始めてかれこれ10年近く・・・執筆をお誘いくださり、辛抱強く掲載を続けてくださる編集長、そして事務局の皆様に、改めて深く感謝申し上げたい。
 それにしても、私自身が担当した前回掲載分がなんと!2017年回顧というもの…丸一年更新を怠っていたことになる。おまけに、女性視線に偏りすぎるデメリットをいくらかでも減じようと、音楽業界を知る立場から共同執筆者となってもらった音楽評論家・谷戸基岩(小林緑の公私にわたるパートナー)が!最後の寄稿をしたのが2018年3月…二人そろっての怠慢にお詫びの言葉もない。けれど私たちにとって、このNPJ通信は、何にも代えがたい、貴重な、有難い発信の場であり続けている。どうか、引き続き、駄弁を揮うことを御認め頂くよう、改めて心よりお願いいたします。

 年末押し迫っての更新となってしまったので、今回も一年の回顧という内容になることを、まずはご了承いただきたい。実は、この1,2年、地元杉並区の女性達とのお付き合いも深まるなか、私も末席に連なっている杉並女性団体連合(以下杉女連)からのお誘いを受けて、機関誌にコンサートの報告を寄稿したところである。そこで、部分的にそれも再利用しつつ、年末に私自身は全くかかわらないところで、日本の女性作曲家と社会正義に真正面から取り組んだコンサートに立ち会えたので、それも付け加えておきたい。

 さて、毎日呆れるばかりの政治劣化に直面した2018年だったが、私自身は曲がりなりにも女性作曲家のコンサートを3つ実現できたことを、素直に喜びたい。
 その第一は2月18日、目黒区男女共同参画課からの依頼による「歌からピアノへ、ピアノから歌へ」と題したもの(目黒区緑ヶ丘文化会館)。ポリーヌ・ヴィアルドを主役に、そのオリジナル歌曲とピアノ曲、密な交流のあったショパンのマズルカ原曲と歌に編曲したもの、様々な意味で関係のあったシューベルトやグノーの良く知られた作品も交え、声とピアノを自由に往還した天才、ポリーヌの魅力を改めて知らしめたい、と企画したのだが、その狙いは、十分に果たせように思う。歌の枝並雅子さん、ピアノの山口裕子さんはともに私が在職した音楽大学の卒業生。演奏と教職でご多忙のなか、この小さなコンサートに強い関心を以て取り組んでくださったことに、改めて感謝している。

 第二は9月30日、台東区男女平等推進フォーラムの一環として開催された「心揺さぶる珠玉の音色—知られざる女性作曲家の世界」(台東ミレニアムホール)[図版1].これは昨年2017年7月2日、多摩三市男女共同参画推進共同研究会(小金井市・国立市・狛江市)の依頼により小金井市宮地楽器小ホールで開催された「女性が紡ぐ音の世界」を聴き、感動された台東区のスタッフが”ぜひこうした感じで台東区でも…!!“と熱意を込めてお誘いくださった賜物である。そのためピアノ三重奏を軸に、ピアノ独奏、ヴァイオリン独奏、チェロ独奏の構成で、ほぼ小金井でのプログラムの再演となったが、演奏はヴァイオリンの佐藤久さん以外は入れ替わり、ピアノが佐野隆哉さん、チェロが江口心一さんにお願いした(ちなみに演奏者と曲目など、昨年のコンサートについては本連載第60回の「都議選と、同日に開催したコンサートなど」をお読みいただきたい)。
 そしてリハの段階からスタッフの皆様の賛嘆の声が挙がるなど、「これは絶対大成功!」と自信満々で臨めたこともあり、一生忘れがたいコンサートとなった。お客様が特に喜ばれたのは、ポリーヌ・ヴィアルドの6つの小品を昨年よりさらに練り上げたスタイルで披露された佐藤久成さん。「歌うヴァイオリン」よろしく、そのしなやかで、クラシック奏者とは思えないような大胆な身振りが、音楽の内容と見事にマッチしている…これを機に「久成{ヒサヤ}の”おっかけ”になったわ」という人が昨年に続いて現れたのも不思議はない。こんな演奏が日本で聴かれるなんて…天国のポリーヌも喜んでくれているのではないか。

 第三は10月28日、ウイメンズプラザフォーラムの一環として企画した「音を紡ぐ女たち―女性作曲家を聴く・パート4~ピアノ独奏と連弾作品を集めて」(東京ウイメンズプラザホール)[図版2]。この三つ目こそ、冒頭にお断りした杉並区主催、座・高円寺でのほぼ再演であった。杉女連のみなさまの発案をなんと!区が横取りした形となったこのコンサート、当日も区担当者の度重なる無礼や不備に恨みが収まらなかったところ、この春ウイメンズ・プラザからの要請があり、これ幸いとリヴェンジの機会として活用させてもらったのである。
 杉並区の最悪の焦点は、「平和憲法さえ危機にある世界の現状をこうした女性たちの音楽から見直すために…」という企画意図の一節を、男女平等とは無関係だから削除せよ、と実施前日に私に要求してきたこと。くわえてプログラムには私の名前の表記もなく、責任者の男性職員たちが演奏中も音楽を聴こうもせず、おしゃべりを続ける…あまりの仕打ちに後日、杉女連とともに抗議するも、結局物別れに終わった(詳細は前回『「平和」、「憲法」は禁句?—杉並区主催の女性作曲家コンサートで言語規制を被って』第62回を参照)。音楽を楽しみ、実践するには平和な世界と差別なく男女が協働できることが大前提だ―「無関係」発言をした責任者の男性課長には、こんな当たり前のこともわからないらしい。クラシック音楽を高尚・文化的なイメージ戦略として利用しただけ、「男女共同参画都市宣言」20周年事業という謳い文句が、なんと空しく滑稽に響いたことか…
 従来いくつもの自治体からのお声がかりでコンサートを積み重ねてきたなか、これは正直、最悪の体験だった。しかし懲りない私は、座右の銘「Think globally, Act locally」の初心に還って、再度来年2019年、杉並公会堂にてピアノ作品ミニ音楽祭を構想中。詳細は未定だが、8月8日(木)、杉並公会堂で行うことだけは確定した。遡ってセシル・シャミナードの生誕150年にあたる2007年の同月同日を真ん中に、同じ会場にて5日間、ピアノと室内楽をとり混ぜた12連続コンサートによる『女性作曲家音楽祭』を懐かしむ意味合いもある。本連載のそもそもの発端となったこのイヴェントについては、どうか連載第2回と第3回を読み返していただきたい。11年後の今回はピアノ限定であるが、座・高円寺とウイメンズプラザで取り上げた連弾も含め、昼夜2回公演でできるだけ多くの女性たちをご紹介すべく、プログラミングを工夫するつもりである。

 自分が当事者となった上記3つのコンサート、いずれも良い評判をいただけたことで、連日マスメディアの報道にため込んだ怒りもいくばくかは和らげられたよう。音楽の妙に改めて感じ入ったこの年の瀬に、私自身は何のかかわりもないが、日本の女性作曲家を社会政治的背景と結び付けるという、充実した素晴らしいコンサートを聴くことができた。新しい年への希望にもつながることを願いつつ、ご紹介しておこう。
 12月3日、ムシカーサでの「光のほうへ」と題する吉岡訓子(クニコ)ソプラノリサイタル。金井喜久子「沖縄の歌」、吉田隆子「君死に給うことなかれ」、などそれぞれの代表作に加え、私自身は実演を聴いたことがない吉田の「小林多喜二追悼の歌」も予定曲にあり、駆けつけたのである。原曲の合唱を独唱用に編曲されたそのアイデアも良かったが、なによりの収穫は、2012年にシリアで取材中に銃撃で命を落とされたジャーナリスト山本美香さんの著作を基に、信長貴富さんに作曲依頼された「ぼくの村は戦場だった」を聴けたことだ。成立事情など詳述したいところだが、とにかく、日本のクラシックの声楽家でこうした問題意識を持ち、しかもそれを実演に直結させた女性の存在をまさに目の前にしたことは、何とも衝撃的であった。吉田隆子のイメージがそっくり重なるような…終演後、お招きの御礼をかね初対面のご挨拶をしたが、ご本人は運動家とかフェミニストぶりをまったく感じさせない、なんとも穏やかで控えめなお人柄とお見受けし、これまた別の意味でショックだった。いずれ機会を改めて、じっくりお話を伺いたい、と考えている。

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