【NPJ通信・連載記事】読切記事
第五話 オリンピック東京大会中止の決断を下す勇気
東京五輪の件は毎月のごとくマス・メディアを賑わしているが、東京五輪が決定した以上、今さら文句を言っても始まらないと思っていた。
しかし、私は30年以上書き続けている業界の月刊誌には、五輪霧中 (五里霧中) とか五輪終 (御臨終) と題して、五輪の件を懲りもせず書いている。
しかし、今回の新型コロナウイルスによる新型肺炎拡大問題と、その前の山下JOC会長の理事会の完全非公開問題については、公正・透明であるべきガバナンス (組織統治) が、スポーツ界全体に求められているおりだけに、やはり一言意見を述べ、ついでに二~三気になっていた事を書いてみようと思う。
問題 一
JOCの理事会の完全非公開については、その理由が「公開すると本音の議論ができないので非公開にする」と言う「公正・公平・平等」がモットーの五輪に、一体どんな本音が言えない事柄があるというのだ。
私も、いろいろな運動の連盟の理事をしてきたが、マス・メディアに本音の言えない議題等は一つもなかった。
あえて想像すれば、いろいろな事情でどうしても出場させたいドーピング使用選手の件とか、記録の伸びる用具ドーピング使用や遺伝子ドーピング等の使用を大目に見て頂きたいとか、連盟の金銭や役員人事等々か、JOC全体の理事会には出席したことがないので、私には想像できない。
ただ、勝利至上主義がまかり通っている現在のスポーツ界では、あの手この手でメダルを獲得しようと、理事も選手たちもいろいろと画策しているのだろう。相手に勝ったからといって、それが一体何だというのだ。優越感を感ずるだけのことだ。
スポーツはあくまでも、フェアプレイの精神とスポーツマンシップの養成が主目的で、柳生宗矩の「吾人に勝つ術を知らず 吾に勝つ術を知り得たり」がその人の人生にとって大事なのだ。
JOCの理事会は絶対にマス・メディアを理事会に出席させるべきだ。
問題 二
この文章が活字になる頃にはどうなっているかわからないが、インターネット上で 1 月30日、新型コロナウイルスによる肺炎拡大の影響で、「東京五輪中止」との情報が広がり、ツイッターで 5 万件以上の関連投稿があり、「東京五輪中止」キーワードがツイッターランキング上位に入った。また、情報サイトが29日夜配信の「東京オリンピック中止か」という見出しの記事が発端らしい。
記事は国際オリンピック委員会が世界保健機関に肺炎対策を協議したという、独DPA通信の報道を踏まえて「東京五輪に重大な影響が及ぶ可能性がある」と結論づけている。
それに対し、東京五輪・パラリンピック組織委員会は、まだ内容もはっきりしないのに「中止は検討していない。必要に応じて新型コロナウイルスの対策検討を進める」とコメントし、東京都知事は「中止はない」と明確に打ち消し、「安全安心推進会議」の感染症対策分科会を開催し、大会組織委員会や関係省庁などと正しい情報共有するようにしたいという。
しかし、新型コロナウイルスの正体がはっきりしない上、発生の源が広大な、しかも連絡の取りにくい国土の中国だけに、本当に正確な情報が中国の国内だけでもどこまで拡がっているのか、本当に正確な情報が入手できるのか心配だ。また、JOCは東京大会の開催に向けWHOや医療関係者と連携して対応すると言うが、この原稿を書いている今、 2月 4日の昼のテレビを偶然見ていたら、そのワクチンと処方薬の完成は、東京大会までには零パーセントという絶望的な活字が大写しで出てきた。
まだ大会までには半年近くあるのだから、その間に何とか方策を講じてもらいたいと思うが、今後の情勢如何によっては世界的スポーツ大会で莫大な経費がかかっているとはいえ、一刻も早く断固中止を宣言する勇気が必要である。
いずれにしても医療関係者は一刻も早く悪魔の正体を突きとめて、その感染対策に万全を期して、開催までには完全にこの地球上から、その病原菌を駆逐してもらいたい。
問題 三
「復興五輪」と開催理念に掲げた五輪だが、震災と東京電力福島第一原発事故から 8 年が経った今、除染廃棄物が詰められた黒いフレコンバックが山積みされている場所や、原発の汚染処理水の処分方法もまだ決まっておらず、去年12月の時点で約 4 万9000人もの避難生活者がおり、その上、震災から 4~5 年は日本全国からボランティアの人たちが集まってきたが、この 4~5 年は近所の人だけで復興が進む理由がない。そのような場所を避けて、聖火の真の意味も知らない人たちが大喜びで、お祭り気分で福島を起点として日本国内だけの聖火リレーをやって復興をアピールするのは、聖火に対する冒涜以外の何ものでもない。
また、現地の人たちの中には取って付けたような演出ではなく、現実の姿を見せてほしいと、むしろ冷めた目で五輪を見ている人が多く、福島は東京に利用されていると指摘する。そして現在の福島は、決して復興をアピールできる状態ではないと言う。
以前も書いたが、経済効果を狙い立候補した付けが、いろいろな面で大きなマイナスにならねばいいが、金メダルを30個獲得しても、テロ対策やハッカー攻撃や今回のような予想外の出費が嵩み、その上、地震でも起きればそれこそ「泣きっ面に蜂」で金銀銅のメダルでは到底償うことはできない。
最後にマス・メディアは各国毎に出場制限のあるオリンピックでの一位が世界一ではなく、世界一はあくまで世界選手権であることを、全世界の人々に再認識させる必要がある。それがマス・メディアの責任であり、オリンピックはあくまでも「世界平和の祭典」でなければならない。
くどいようだが「五輪憲章」一部を書いて、亡命先のスイスで自分が再現した「近代オリンピック」を廃止できずに死ぬことを悔やみつつ、失意のうちに亡くなったクーベルタン男爵の無念の思いを、少しでも晴らして差し上げたいと思う。
「オリンピック精神 (スポーツマンシップとフェアプレイ―の精神) に基づいて行われるスポーツを通して、青少年を教育することによって平和でより良い世界づくりに貢献すること。また、そのオリンピック精神に基づくスポーツ文化を通して世界の人々の健康と道徳の資質を向上させ、相互の交流を通して互いの理解の度を深め、友情の輪を広げることによって住みよい社会を作り、ひいては世界平和の維持と確立に寄与することをその主たる目的とする」。
今回の東京五輪がこの目的にそった企画の五輪と思われますか。メダル獲得に目の色を変える五輪は、見る人たち、殊に若者に勇気と希望とを与えるかも知れないが、プロのスポーツ以外のスポーツは決して見せ物ではない。
「二度とない人生だから戦争のない世の実現に努力し そういう詩を一遍でも多く作ってゆこう 私が死んだら あとをついでくれる若い人たちのためにこの大願をかきつづけてゆこう」(坂村真民著 “二度とない人生だから” )。
第四話 五輪霧中 2019.4.6
第三話 メディアの使命とIOC改革 2017.7.19
第二話 2020年東京オリンピック (平和の祭典元年宣言) 2017.7.12
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